6月下旬辺りから、僕は「セラピストとして独立する」ということを決意しました。
おっかなびっくりですが、そのために色々と準備をしており、ブログも毎日更新していくことを決めました。
まだ始まったばかり。色々なことが手探りで、何もわからないままにビクビクしながら進んでいます。
でも、あまり迷いはありません。元々失うものも多くないし、「やらなきゃ後悔する」という気持ちがなんとか自分を支えている気がします。
言っちゃあなんですが、これを決めた時期、「タイミング」が味方してくれてるように思います。自分の力をつけて、それで生きていく、そのためにフリーランスとしての活動にシフトするというのは、密かに長年思い続けていたことでした。
それが、思いがけずスイッチが入ったという感じです。
自分のセラピスト独立と、タイミングの話を算命学的な視点で考えました。
僕はべつに独立に向いているタイプではない
算命学でも、西洋占星術でも、自分の生まれた日の情報を読み解いていけば色々なことがわかります。例えば、「自分の力で切り開ける独立志向の人かどうか」ということも。
それで言うと、僕の生まれつきの性質をみたら、決して独立願望や自立能力が高いわけではありません。
僕の壮年期の十二大従星は天胡星で、晩年期の十二大従星も天極星。合計エネルギー値は150台とかなり低いほう。
太陽のあるハウスは6ハウス。パワーの強さで言えば決して強くないし、むしろかなり弱い位置にある。
純粋な元々持っている「パワー」だけを見るなら、僕は先頭きって何かをやっていくタイプではないし、自ら切り開く開拓者や起業家のようなタイプではないです。
独立をするきっかけとなったこの出来事も(→戦力外通告を受けたのでフリーランスになります )、
自分から嫌気がさして独立に踏み切ったわけではなく、逆に周りから追い立てられ、結果的にそれを選ばされた感じでした。「もう、その道を目指すしかなくなる」と、気付いてしまったというか、周りによって動かされてしまったというか。
「自分やっていく」と決めたのは紛れもなく自分の意思ですけどね。
だからこれからも、僕は自分で生きていく部分はありながらも、人に支え支えられて生きていくのだと思います。
『天胡星』は、十二大従星の中でもエネルギーは三番目に低く、あまり自分からアクティブに動くのは得意じゃない星です。そのぶん精神活動や思考や想像力は活発になりやすいです。
僕は働き盛りの壮年期にこの星があるので、仕事もそんなにパワフルになれる感じじゃないです。
『天極星』は、エネルギーが二番目に低く、周りに合わせて難なく乗り切ることが出来るけど、天胡星と同じく自分から行動するにはパワーが足りない星です。
『太陽の6ハウス』は、自分ではなく他人軸。周囲の人や状況に応じて自分の動きを決めていき、さらに人や環境に付き従い、仕えることで自分の持ち味を活かすことができるタイプです。
ではなぜ僕は独立することを決めたのか?
必ずしも算命学による運の流れだけではないですが、あえて算命学に結びつけるとすれば、それは「タイミング」が来ているからです。
年運『貫索星』
僕の自分自身の性質を表す日干は『庚』です。
今年2020年の干支は『庚子』で、僕の日干と一致しています。
自分の日干と年の干は、10年に一度、一致する年がありますが、その一致する今年は『貫索星』という年運になります。
この貫索星にあたる年は、自分の自我が強くなったり、独立志向が強まったり、何事も自分なりのやり方を通していこうという気分になります。
反対に、自分のやり方にこだわり過ぎた結果、人の言うことを聞かなくなったり、人とのつながりが薄くなって孤独になりやすかったりします。
でも、その孤独によって周囲の雑音が減るので、逆に自分のやりたいことに純粋に向き合えるようになります。年運に貫索星がある時はそういう傾向が出やすいです。
干の支の両方が一致する、年運『律音』
さらに、今年は僕の日干支『庚子』と、2020年の干支『庚子』が完全に一致している年です。
干支の組み合わせは、10の天干と12の地支の組み合わせによって、全部で60の干支があります。年の干支は毎年変わっていき、60年で全ての干支を経て一巡します(この60年が経ったことを「還暦」と言います)。
この自分の干支と、現在巡っている干支が同じになることを、算命学では「律音(りっちん)」と言い、自分の元々のエネルギーのリズムと、現在の運気のリズムが一致し、「新しい流れを自分で起こしやすい」と言われています。
貫索星が巡っている時は自分主体で物事を考え、動かしやすい年ですが、そこに地支も同じものが合わさって『律音』になると、自分で思っていることに現実的な行動が伴いやすく、実行する場が整いやすくなります。
これは悪い意味にもなって、生まれの命式が示す自分本来の動きから大きく外れていると、この律音の年を契機に、自分に関わりのないものがどんどんと削ぎ落とされ、望んでいなくても「本来の自分」が現れてしまう…という面もあります。
律音の時期は、良くも悪くも、地味ながら物事の契機となる年になりやすいです。
なにしろ、律音の年は60年に一度しかやってきませんからね。
とはいえ、律音の時期というのは自我が高まって自立や独立など、一人でなにかをやるスタートとしては良い運気ですけど、それが即結果に結びつくほどラッキーな時期というわけではないです。
むしろ得られる結果も「良くも悪くも自分次第」であまり大きな収穫は期待できません。孤独感が高まりますが、そのぶん自分のやりたいことややるべき事に専念できる年にもなります。
今このタイミングだからこそ決めた
今年は、「何かはわからないけど自分で始めるものがあるのかもなー」と漠然と思っていましたが、まさか独立してフリーランスでやることを決めるとはまったく思いもしませんでした。(いやまあ自分で決めたんだけど)
(自分スタートで何かを始めやすいという時期は、他にもいくつかポイントがありますが、自分の干支が年運の律音になる年というのはその最たるものでしょう)
だから、僕の場合は、「今この時期だからこそ、独立を決めた」のだと思います。
年がら年中、何かパワフルなことをやるタイプでもありません。独立を決めたのは「今だから」こそであり、勢いとタイミングによるものだと思います。
でも、タイミングって本当に大事だなと思います。自分の気持ちにも、旬というものはありますから。
自分でやっていくならあと数年ほど待つとか、じっくり準備をするとかをやっていたら無理で、この時期だからこそ決めることができたのかなと思っています。
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